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名まえの魔法



 名まえは祝福の呪文

ことばは、美しい祈りである、と、私は幼い頃から感じていた。
 その昔、女が男に名を教えることは、魂を触らせる行為だった。その女が生まれた
とき、名を与えた年長者は、彼女へのいのちの祈りを名前に託したはずである。
名を呼ばれるということは、名の持ち主にとって祝福の呪文なのだ。

 名を呼ばれれば、何度でも、人生の初めに与えられた美しい祈りが繰り返される。
彼女の美しい名を呼んだ者にも、その照り返しの祝福がある。

 幼い頃の私には、人が人の名を呼ぶ瞬間の祝福の魔法が、実は見えたのである。
不思議なことだけど、きらきらとこぼれる光のように見えたのである。

 残念なことに、長じた今では、こぼれる光のようには見えなくなった。
けれど、感じることはできる。人の名だけではない。
ことばの多くは、その存在だけで、私たちを祝福している。

          「感じることば」筑摩書房、黒川伊保子著 P4




ことばの力

ことばには、意味を超えて、ヒトの意識をある方向に導く力があります。
緊張させたり、くつろがせたり、颯爽としたイメージを運んだり、
温かいイメージで包んだり…。
どのことばの音も、その方向の意識を求めている人にとっては、とても気持ちいいのです。

深みが欲しい人は、深い振動のことばを、
爽やかさを欲する人は、爽やかなことばを、
自然に愛して口にしていきます。

赤ちゃんが生まれたとき、その子に「颯爽とした何か」を感じれば、
颯爽とした名前を付けたくなります。
「洞察力の深さ」を感じれば、深い名前を付けたくなります。

赤ちゃんは、鮮烈ないのちの波動と共に生まれてきて、
それに感応した大人たちが、いのちの香りや色彩を名前にしていくようです。
なぜなら、人のいのちの色合いと、名前の語感は、
多くの場合、本当によく一致しているからです。

先天的に持っている存在の波動になぞらえて命名は行われ、
その名はまた、後天的にその存在を育てます。
ことばと存在は、どうにも不可分なのだと思います。



             「恋するコンピュータ」黒川伊保子著 筑摩書房 P220







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